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Posted by だてBLOG運営事務局 at

2008年03月31日

計画を思い立ったきっかけ


2000年の夏、ビーバー村である人物のメモリアルポトラッチが行われた。

その人の名は、サルビン・アダムス。

フランク安田と同じ時代にビーバー村で生きた人だった。

彼は疫病死の疑いがかけられてしまい、東南アラスカのシトカという町に
遺体を隔離されてしまったのである。
実際は疫病ではなかったのだが、疑いが晴れるのに長い年月がかかった。

2000年の夏、彼はビーバー村に帰ってきた。
ビーバー村をはじめ、近くのフォートユーコンやスティーブンスビレッジからも
多くの人が集まってきた。
村の中心部近くに野外特設会場がつくられ、焚き火がはじまった。
村で所有している特大鍋が登場し、ムース(ヘラジカ)ヘッドスープがつくられていく。
テーブルにはキングサーモンやヤマアラシ、カナダガンの料理が
ところ狭しと並べられている。

人々がテーブルの周りに集まり帽子をとると、一人の長老が、自分たちの
血となり骨となる目の前に並んだ料理に対して、祈りの言葉を捧げていく。
料理は老人から皿に盛っていく。
足腰の不自由な人には村人が率先して、代わりに料理を皿に盛っていく。

食後はフィデロ(バイオリン)バンドが音楽を演奏し、極北の風景にあった
心地よい音が流れていった。
夜になると学校の体育館に人々は集まった。
ポトラッチのために準備された工芸品や贈り物が、中央に山のように積まれている。
人々は贈り物をそれぞれ受け取ると、工芸品を身に着け、ドラムダンスをおどる。
最初は小さな人の輪だったのが、徐々に大きく膨れ上がり、
太鼓と人の掛け声が体育館の壁を突き抜け、オーロラが輝く、
極北の森に響いていった。
極北のネイティブインディアンの人々の伝統や文化が集約された
素晴らしい行事に感動した。

このとき、いつかビーバー村の人たちに、フランク安田のメモリアルポトラッチを
開催してもらいたいとはじめて思った。

それから約8年の月日が経過し、いよいよ夢が実現しようとしている。

この8年間、村の人々とは深い信頼関係を築いてきた。
今回計画しているフランク安田メモリアルポトラッチで、フランク安田の
残した功績をみんなで再確認し、また、彼を支えた妻のネビロ安田、
トーマス・カーター、ジョージ大島、ジェームスみなの、そして多くの
イヌピアックエスキモー、アサバスカンインディアンのことをみんなで
語りたいと思う。

posted by S  


Posted by ビーバー at 10:10Comments(3)メモリアルポトラッチ