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Posted by だてBLOG運営事務局 at

2008年04月28日

来日メンバーのご紹介


日本での日々の様子を綴るにあたり、まず、来日したメンバー13名に
ついて、ここでさらっと紹介しますcamera


シャーリーン Charleen

クルイックシャンク学校の校長で、今回の修学旅行を実現するため、中心となって尽力。
アラスカ大学フェアバンクス校卒業。
そして、以下に紹介する4人の女の子たちのお母さん。


デロー Darryl

シャーリーンのご主人。
日本滞在中は、寡黙に、温かなまなざしでシャーリーンや娘さんたちを見守っていた。
昨年秋に亡くなった彼のおじいさんは、デイヴィット・サーモンDavid Salmon氏。
かつてアラスカのアサバスカンインディアン全体のトラディショナルチーフ(部族の精神的な支柱)で、故星野道夫氏もよく話を聞きにいっていたという。


シャルビー Shelby(13歳)

フィッシャー=サーモン家の長女。
物静かで大人びている印象のシャルビー。
ちょっと、はにかんだような微笑みがとても
可愛らしい。
妹のジュリアとともに、ビーバー村周辺に
生息する植物の薬効について調べた自由
研究で、Alaska Science Fairの賞を受賞。


ジュリア Julia(10歳)

フィッシャー=サーモン家の次女。
愛称はジュジュ。
水色や青色が好き。
はつらつとした元気な子。
バイオリンを習っている。


アリソン Allyson(7歳)

フィッシャー=サーモン家の三女。
カメラを向けると、かなりの確率で
ヘン顔をする。
日本のお菓子や飲み物が気に入った様子。


シェイニー Shani(5歳)

フィッシャー=サーモン家の四女。
とてもおとなしく、囁くような声やときおり
見せる笑顔がとてもかわいらしい。
2歳児のウィリアムに、なぜか「ヘイ!
ベイビー!」と声をかけられていた。


ポール Paul

クルイックシャンク学校のグッチンGwich'in語の先生。
一般的に、彼くらいの世代ではグッチン語が話せない人たちがほとんどだが、彼はずっとおばあさんと暮らしていて日常的にグッチン語を使っていたため、話せる。
ビーズワークが得意。


ジョーダン Jordan(10歳)

静かな声で話す、TVゲームや野球が好きな男の子。
日本滞在中は、じつにさまざまな種類の飲み物に挑戦していた。


ウィリアム William(2歳)

周りがどんなに騒々しくても、どんな姿勢でも、13時頃になるとほぼ必ずお昼寝をしていた剛胆な2歳児。
金髪に青い瞳、愛らしい笑顔で、どこへ行っても人気者。
だれに教わったのか、日本滞在中にウインクの仕方を覚えて、ママを驚かせていた。


写真左 レベッカ Rebecca
ウィリアムのママ。
クルイックシャンク学校幼稚園の先生をするかたわら、村に唯一あるストアを切り盛りしている。

写真右 キンバリー Kimberly
ケイレンとジョーリーのお母さん。
愛称はキム。手先が器用で、工芸品作りが得意。


ケイレン Caelin(13歳)

スノーモービルで遊ぶのが好きな中学1年生。
帽子コレクターらしく、吉祥寺でもグリーンのかわいい帽子を買っていた。
ただいま、ギター練習中。


ジョーリー Jolie(10歳)

子どもたちの中でいちばん積極的に日本語を使ってコミュニケーションしようとしていた(「トイレ、どこですか?」とか)。
100円ショップで、どっさり買い物をしていたのが印象的。


posted by K  


2008年04月23日

ご協力いただいた皆様へ


一昨日、ビーバー村の修学旅行生は成田を出発し、アラスカの原野へと帰っていきました。

今朝、校長先生のシャーリーンから電話があり、全員無事にビーバー村に着いたと連絡がありました。ビーバー村はまだまだ雪と氷が残っているようです。

シャーリーンは「日本滞在中は本当に多くの人々に歓迎してもらい、今でもみんな興奮してます。」
「日本人のやさしさがほんとうに心に響きました。ありがとうございました。」
と話していました。

帰りのフェアバンクス空港では地元新聞の取材も受け、今回の修学旅行はアラスカでも大きく取り上げられています。

「夏のフランク安田メモリアルポトラッチに向けて、ビーバー村全体で準備を始める。そして引き続き日本の文化や言葉を学んでいこうと思う。」と新聞には書かれていました。

今回、多くの皆様に歓迎していただいたことで、今年の夏に計画している「フランク安田メモリアルポトラッチ」がより充実し、すばらしいものになると確信しました。本当にありがとうございました。





地面に落ちた桜を手にとって、うれしそうなアリソンと、妹のシェイニー。




おちゃめなウィリアム。




地下鉄ホームで電車を待つひととき。ケイレンとジョーダン。




日本科学未来館にて。
  


2008年04月21日

ビーバー村の修学旅行、無事に終わりました




ビーバー村の一行は、今日で無事に日本での修学旅行を終え、帰路につきました。
ご協力いただいたみなさま、ほんとうにありがとうございましたicon12




仙台のあと、フランク安田の故郷である石巻市では、湊小学校を訪れて地元の
小学生たちと交流したり、




石巻市民の皆さんが盛大にもてなしてくださったりして、この上ない
歓迎をしていただきました。




天候に恵まれ、ちょうど桜も満開で、ビーバー村のみんなも大感激sakura




東京に戻ってきてからは、アイヌ文化交流センターで、東京近郊在住のアイヌの
方々と交流させてもらったり、




台風ばりの雨風吹きすさぶ悪天候の中(!)、東京ディズニーランドを満喫したり、




念願のカラオケを体験したりするなど、盛りだくさんの修学旅行になりました花丸

この旅行の詳しい様子は、これから少しずつ写真を交えてブログに
アップしてゆく予定です。

どうぞ、お楽しみに。


posted by K  


2008年04月14日

東京に到着、そして仙台にやってきました。




4月12日(土)夕方、ビーバー村からの一行が、無事日本の地に降り立ちましたicon12
シアトルから10時間のフライトはけっこうキツかったようですが、それでもみんな
とても元気な様子。




翌日は朝から東京都内を観光。

まずは新宿都庁前で記念撮影です。




もちろん、電気屋さんもさっそくチェック。
みんなニンテンドーDSが大好きで、ソフトの種類に目を輝かせていたのですが、
日本のものは、日本のDSにしか対応しないということで、購入できずがっかり。




ランチは、竹下通り前のロッテリアでハンバーガー。
バーガー・ポテト・ドリンクが一気に14個ずつ並ぶ姿は、なかなかに圧巻でした。。
これだけの人数がいると、お昼の場所を確保するのも簡単ではありませんicon10




そして今日は、朝9時東京駅発の新幹線で東北は仙台にやってきましたtrain_a03
星さん家族がアレンジしてくださった市内散策ツアーで、青葉城址にて。
桜が満開で、じつによいタイミングでした。




夕方は、こんな風なイーグルの立派な刺繍が入ったジャケットや、




ゴージャスなビーズの刺繍が施されたモカシンなど(すべてムースの皮や
ビーバーやウサギの毛皮などを使った手づくり)、冠婚葬祭など特別な
時にしか身に着けない民族衣装に着替えて...



県庁へ出向き、宮城県知事を表敬訪問しました。
みじかい時間でしたが、歌や踊りを披露して、彼らの文化を紹介。




時差ぼけも解消しきらず、慣れない異国での生活ではありますが、
みんな元気に過ごしています。

明日は、朝9時に仙台を出発して、フランク安田の故郷・石巻市に向かいます。



posted by K  


2008年04月06日

アラスカの先住民


フランク安田が残した功績、またビーバー村のことをよりよく知ってもらう
ために、今日は、アラスカ先住民について記しておこうと思います。

北米や南米で先住民と呼ばれる人々は、その多くが、ずっとずっと昔
ベーリンジアが海に沈んでベーリング海峡になる前に、ユーラシア大陸から
アメリカ大陸に渡ってきた人類の子孫だといわれています。
アメリカに暮らす先住民の人々は、一般にアメリカ先住民、とひと括りに
されがちですが、その中にはじつにさまざまな民族がいて、言語があって、
文化があります。

アラスカの先住民に関していうと、言語系ごと4つのグループに大別されます。

- 南東アラスカのネイティブインディアン(ハイダ族、クリンキット族など)
- アリュート
- エスキモー(イヌピアット/ユピック)
- アサバスカンインディアン

*日本では「エスキモー」という言葉は使わず、「イヌイット」と呼ぶようにいわれることもあります。
しかしこの2つは若干、言葉の定義がちがうし、英語圏ではふつうにEskimoと呼んでいるので、
ここではエスキモーという言葉を使います。ご了承ください。





南東アラスカのネイティブインディアンは、トーテムポールを造る民族として
知られている人々。
ポトラッチはもともとは彼らの文化ではじまり、広がったものと考えられています。
<写真は南東アラスカのケチカンという町にあるトーテムポールとクランハウス
(部族の集会場のようなもの)。クランハウスの壁に大きく彫られている動物はクマ>

アリュートは、アリューシャン列島の島々に暮らす海洋民族。

そしてフランク安田にまつわる話でおさえておきたいのは、あとの2つ。
エスキモー(イヌピアック/ユピック)アサバスカンインディアンです。

フランク安田が、ベアー号救助要請のために目指し、その後ネビロと結婚して
暮らしたポイントバローはエスキモーの村で、とくにイヌピアットと呼ばれる民族の
人々が生活していました。
エスキモーが暮らすのは、ただただ海と氷原、雪原が広がる北極海に面したエリア。
ツンドラ地帯で、木などは一本も生えていません。
食料はもっぱら、アザラシやクジラ、セイウチなどの海獣で、生肉を食していました。

一方、現在のビーバー村がある一帯、アサバスカンインディアンの居住地は内陸部で
山に囲まれた森林エリアです。
川での漁や、山での狩猟、ベリー類の採集などが生活の糧。
川で獲った魚や、森でしとめた動物は、焼いたり煮たり、薫製にしたりして食料としていました。

アラスカの先住民、と一口に言っても、このようにエスキモーとアサバスカン
インディアンでは、環境、言語、生活スタイル、食料などなど、すべてにおいて
決定的に異なっています。
そのちがいは、日本と中国のちがい以上のものとすら言えるかもしれません。
しかも、アサバスカンインディアンは、エスキモーのことを「生肉を食べるなんて!」と
嫌悪し、敵対的ですらあったといいます。

アラスカという土地と、そこに暮らす人々の日常を多少なりとも知ることで、
98年前にフランク安田が成し得たこと、ビーバー村や、1週間後に来日する
ビーバー村の子どもたちに対する関心を高めてもらえれば幸いですsakura




子どもたちがCruikshank Schoolの修学旅行で行ったニューメキシコ州アルバカーキ。
みんな、民族衣装に身を包んでいます。
全米のネイティブインディアンが集まり、それぞれの伝統を披露する会場にて。


posted by K  


Posted by ビーバー at 22:43Comments(0)ビーバー村のこと

2008年04月04日

ビーバー村Cruikshank School修学旅行

4月12日、ビーバー村から子供たちが日本にやって来ます。そしてフランク安田の生まれ故郷である石巻に4月15、16日と滞在し、湊小学校での交流会や市民との交流会を予定しています。

今回は、ビーバー村創立以来はじめての海外修学旅行です。

最初は、ビーバー村の学校の校長であるシャーリーンだけが日本に来る予定でした。しかし、できることなら子どもたちと一緒に、と考えた彼女は、ロサンゼルスのオーロラ基金(Aurora Fandation)が毎年行っている「オーロラチャレンジグラント」に応募しました。この賞は、日本に関連する夢を持ったアメリカ人を対象に募集され、受賞すると日本までの往復航空券と滞在費を受け取ることができます。

シャーリーンはメモリアルポトラッチと石巻訪問の夢をのせて応募し、見事に受賞しました。受賞後、彼女は全員のパスポートを取得することからはじめ、教育機関などあらゆる方面に働きかけて予算を確保し、ついに今回の修学旅行が実現することになったのです。

大きなスポンサーがすべて面倒を見てくれるのではなく、アラスカ、ロサンゼルス、石巻をはじめ日本の多くの人が賛同し、協力してくれたことで実現する、という点で、今回の訪日は、とても価値のある修学旅行だと思います。

今回、石巻にやってくる子供たちが大人になったときに、この修学旅行を良い思い出として語り継いでもらいたいです。そうすれば、これから生まれてくるビーバー村の子供たちが、自然とフランク安田のことに興味を持ってくれる事でしょう。





ユーコン川にて、ボートを操縦する(?)当時1歳半のウィリアムスWilliamsくん。
ビーバー村は、人口70人ほどの小さな村のため、そこにあるクルイックシャンク学校
Cruikshank Schoolは、幼稚園児から高校生までが通う、幼・小・中・高一貫教育。
したがって、現在2歳で、クルイックシャンク学校に幼稚園児として通っている
この写真のウィリアムスくんも来日します。

ちなみに、この手の学校は、最低10名の生徒がいないと廃校、ということで、
その存続が危ぶまれています。。

posted by S