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Posted by だてBLOG運営事務局 at

2008年10月08日

遅ればせながら、フランク安田メモリアルポトラッチの報告その1

たいへん遅ればせながら、少しずつ、8月のメモリアルポトラッチの報告を
綴っていきたいと思います。

今回の記事の写真提供は、鈴木誠二さんとSheila Duffordさんです。



23日土曜日のお昼前、フェアバンクスからのチャーター機で、日本からの
みなさんがビーバー村に到着icon20




ビーバー村の子どもたちと先生が、アサバスカンインディアンの民族衣装を
纏って出迎えてくれました。


グッチン語の先生であるポールの衣装は、淡いクリーム色が特徴のカリブーの革製。
背中には、カリブーのデザインがあしらわれています。


みんなで笑顔で集合写真camera


到着した一行は、まず会場であるクルイックシャンク学校へ。

石巻市民代表団団長の西條さんが、ビーバー村代表のセリーナに、知事と市長からの公式書簡を手渡すなど、歓迎のあいさつを終えたら、




さっそく、村内を見て回りますicon24




ビーバー村唯一のストア。




フランク安田の暮らした丸太小屋の前で、彼のお孫さん家族も一緒に、
みんなで記念撮影をしました。
  


Posted by ビーバー at 23:33Comments(4)メモリアルポトラッチ

2008年10月08日

フランク安田、ネビロ安田追悼

 カリブーの皮でつくられたアサバスカンインディアンの伝統的なハンドドラムが打ち鳴らされると、人々が学校の体育館中央に集まってきた。ドラムダンスをリードするのはスティーブンビレッジからやってきてくれたベン・スティーブンスとジェイ・スティーブンスの兄弟だ。抑揚のある歌とともに人々は体を上下に動かし、手を振り上げる。熱気にのまれるように一人、また一人とダンスの輪が広がっていく。小さな子供たちも円の中心で声を出して、一生懸命体を動かしている。一つのダンスが終了するとすぐに次のダンスへ。このまま一晩中続くのではと思えるよう勢いだ。全身から汗が吹き出し、喉の奥からしぼり出す声は魂のはいった歌となり、広大な極北の原野に響いていった。

二日目には石巻から参加してくれた皆さんにより、日本舞踊、和太鼓、合唱がおこなわれた。日本舞踊の美しい着物姿に会場からはため息がもれ、中には涙を流して喜んでいる老人もいた。子供たちも一生懸命がんばった石巻日高見太鼓の熱演は参加者全員からスタンディングオベーションでたたえられた。3年前に石巻の藤間京緑氏を訪問しなければ、こんなに素晴らしいフランク安田への贈り物は実現できなかったであろう。また、実行委員会をはじめ、多くの石巻市民の皆様にご協力をいただいた。フランク安田が石巻の出身で本当によかったなぁと思った。


タナナチーフのジェリー・アイザックはスピーチの中で今回の「フランク安田メモリアルポトラッチ」について次のように語ってくれた。

「アサバスカンインディアンの長い長い歴史の中でもこのようなメモリアルポトラッチが開催されるのは初めてのことであろう。フランク安田という偉大な日本人とネビロ安田という偉大なイヌピアックエスキモーがビーバー村に残した功績を改めて再認識した。このポトラッチによって日本という国とアラスカネイティブの関係が親密になったことは確実だ。」

 道路の通っていない人口70人のビーバー村に200人以上の人が集まってくれたことは異例のことだ。そして、フランク安田の親族もアンカレッジ、ノーム、オーストラリア、ニューヨークから集結してくれた。こんなに多くの皆さんとフランク安田、ネビロ安田を追悼できたことは予想以上のことで、とても価値のあるポトラッチであったと確信している。

全国各地のご協力いただいた皆さま、本当にありがとうございました。  


Posted by ビーバー at 23:32Comments(0)メモリアルポトラッチ