2010年11月06日

ウォルターニューマン

ユーコン河をカヌーで下ってきたオーストラリア人に向かって
「オーストラリアにはクロコダイルダンディーってのがいるだろう。」
「俺はカリブーダンディーだ。わっはっは。」
強烈なキャラクターでみんなを惹きつけたアラスカの人気者が天国へ旅立った。


一度会うとみんなウォルターが好きになった

アラスカから電話があった。
「ウォルターが亡くなった。」
数日前に電話で楽しく話をしたばかりだったので信じられなかった。
今日はウォルターとの思い出を書いて追悼したいと思う。



「フランク安田メモリアルポトラッチ」のフィデロバンド
左からヌラトのビル、アークティックビレッジのトリンバル、ウォルター
ウォルターとはじめて会ったのは今から10年くらい前だったと思う。
ビーバーの友達の家に行ったとき、小さな椅子に座ってテレビのニュースを見ていた。
「お前は日本人か?」
ちょっとびっくりした表情を近づけてきて、覗き込むように話しかけてきた。
「フランク安田は私のGOD FATHERだ」と言った。
その夏、ウォルターと一夏過ごした。
キングサーモンの季節になると、どこからかぼろぼろの刺し網を持ってきて、手際よく修理をして、
「おまえカヌーでこれを持っていって、そこに仕掛けてきてくれ」と言った。
目の前のユーコン河を指差して
「あの辺りに仕掛けてこい。」
「川の流れに対して角度をつけて張ってくるんだぞ」
言われた通りに張って、双眼鏡を持って岸に立っていたウォルターを見ると、両手で大きな丸を作っているのが見えた。
「GOOD JOB」
それから毎日朝からウォルターとネットのある川面を見つめて過ごした。
ときおり、水面からバシャバシャと水しぶきが上がるとうれしそうな顔をして、
「かかったぞ」「行ってこい」
毎日のようにウォルターとキングサーモンを食べた。



バローのアンブロースといっしょに父親のトゥラックの墓前で ビーバーの共同墓地

ウォルターの父親であるトゥラックニューマンはフランク安田とともにバローからビーバーにやってきた人で、ビーバーでチーフを務めた人でもある。ウォルターはそんな父親からフランク安田の話をたくさん聞いて育ったという。
「フランク安田は偉大な人物だったんだぞ。」
といつもいろんな話をしてくれた。

ウォルターはいつもいろんな場所に行っていて、住所不定のような感じだったので、「メモリアルポトラッチ」の3年前からウォルターに
「実現する時は必ず参加してください」
と話していた。
ポトラッチの1年前に行方不明だったウォルターがユーコンの下流のフィッシュキャンプにいるという情報を得て、手紙を書いて渡してもらった。ポトラッチの直前にはフェアバンクスで再会することができ、タナナチーフはじめネイティブコーポレーションのチーフに一緒に会いに行った。ポトラッチではフィデロのギターを演奏してくれ、アークティックビレッジのトリンバル ギルバートとヌラトのビルともに盛り上げてくれた。ポトラッチに参加した日本人はみんなウォルターが好きだった。多くの人を惹き付ける人だった。

亡くなる数日前に電話で話した内容は
「来年バローからビーバーまで一緒に歩こう」
であった。





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