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2010年11月06日

ウォルターニューマン

ユーコン河をカヌーで下ってきたオーストラリア人に向かって
「オーストラリアにはクロコダイルダンディーってのがいるだろう。」
「俺はカリブーダンディーだ。わっはっは。」
強烈なキャラクターでみんなを惹きつけたアラスカの人気者が天国へ旅立った。


一度会うとみんなウォルターが好きになった

アラスカから電話があった。
「ウォルターが亡くなった。」
数日前に電話で楽しく話をしたばかりだったので信じられなかった。
今日はウォルターとの思い出を書いて追悼したいと思う。



「フランク安田メモリアルポトラッチ」のフィデロバンド
左からヌラトのビル、アークティックビレッジのトリンバル、ウォルター
ウォルターとはじめて会ったのは今から10年くらい前だったと思う。
ビーバーの友達の家に行ったとき、小さな椅子に座ってテレビのニュースを見ていた。
「お前は日本人か?」
ちょっとびっくりした表情を近づけてきて、覗き込むように話しかけてきた。
「フランク安田は私のGOD FATHERだ」と言った。
その夏、ウォルターと一夏過ごした。
キングサーモンの季節になると、どこからかぼろぼろの刺し網を持ってきて、手際よく修理をして、
「おまえカヌーでこれを持っていって、そこに仕掛けてきてくれ」と言った。
目の前のユーコン河を指差して
「あの辺りに仕掛けてこい。」
「川の流れに対して角度をつけて張ってくるんだぞ」
言われた通りに張って、双眼鏡を持って岸に立っていたウォルターを見ると、両手で大きな丸を作っているのが見えた。
「GOOD JOB」
それから毎日朝からウォルターとネットのある川面を見つめて過ごした。
ときおり、水面からバシャバシャと水しぶきが上がるとうれしそうな顔をして、
「かかったぞ」「行ってこい」
毎日のようにウォルターとキングサーモンを食べた。



バローのアンブロースといっしょに父親のトゥラックの墓前で ビーバーの共同墓地

ウォルターの父親であるトゥラックニューマンはフランク安田とともにバローからビーバーにやってきた人で、ビーバーでチーフを務めた人でもある。ウォルターはそんな父親からフランク安田の話をたくさん聞いて育ったという。
「フランク安田は偉大な人物だったんだぞ。」
といつもいろんな話をしてくれた。

ウォルターはいつもいろんな場所に行っていて、住所不定のような感じだったので、「メモリアルポトラッチ」の3年前からウォルターに
「実現する時は必ず参加してください」
と話していた。
ポトラッチの1年前に行方不明だったウォルターがユーコンの下流のフィッシュキャンプにいるという情報を得て、手紙を書いて渡してもらった。ポトラッチの直前にはフェアバンクスで再会することができ、タナナチーフはじめネイティブコーポレーションのチーフに一緒に会いに行った。ポトラッチではフィデロのギターを演奏してくれ、アークティックビレッジのトリンバル ギルバートとヌラトのビルともに盛り上げてくれた。ポトラッチに参加した日本人はみんなウォルターが好きだった。多くの人を惹き付ける人だった。

亡くなる数日前に電話で話した内容は
「来年バローからビーバーまで一緒に歩こう」
であった。


  


Posted by ビーバー at 19:51Comments(0)カリブーダンディー

2010年10月13日

石巻の皆さんと2年ぶりの再会④

湊小学校の生徒はすごかった


6年生が「フランク安田の生涯」を舞台で演じてくれた しかも英語で


空手の型を披露してくれた生徒たち


剣道もまじかで見学し、この後、撃ち込み稽古をつけてもらった


最後は全員で「友好の踊り」をおこない、体育館は熱気で包まれた


全校生徒と記念撮影


この交流のためにしっかりと準備してくださった
校長先生はじめ教員のみなさんそして生徒のみなさん
本当にありがとうございました。 ビーバーの子供たちは
この交流を一生忘れないことでしょう。

  


Posted by ビーバー at 18:35Comments(0)2010年交流会

2010年10月13日

石巻の皆さんと2年ぶりの再会③

交流会では今回も多くの石巻市民の皆さんにお世話になりました。ありがとうございました。


ポトラッチのときにビーバーの体育館で和太鼓を披露してくれた
石巻日高見太鼓の子供メンバーと記念撮影。りょうた君もパワーアップしてました。


「フランク安田友の会」会長の藤間京緑さんから鶴の刺繍が入った
美しい打掛を贈られて、大喜びの校長先生シャーリーン


ビーバーから持ってきた手作りの毛皮防寒着も展示された


最後はポトラッチでもみんなで踊った「大漁踊り」でみんなが一つになった



  


Posted by ビーバー at 18:19Comments(0)2010年交流会

2010年10月13日

石巻の皆さんと2年ぶりの再会②

日中はマンガ館やホエールランドで楽しみました。


マンガ館のスタッフの皆さんに館内案内をしてもらったり、
キャラクター入りのキーホルダーつくりを教えてもらいました。



ホエールランドでは3Dシアターが好評でした。

  


Posted by ビーバー at 09:47Comments(2)2010年交流会

2010年10月12日

石巻の皆さんと2年ぶりの再会①

ビーバー村の子供たち石巻を再び訪問
9月26日~28日にビーバー村の子供たちが石巻を訪れました。



前回訪問した時は桜が満開でしたが、今回は立派な顕彰碑に一同驚いていました。


日和山から望む石巻の町はとてもきれいでした。


夕食前に花火大会で盛り上がりました。特にウイリアム君は大はしゃぎ!


翌日は石巻の新しい市役所を訪問。きれいな市役所に一同びっくり。
亀山市長を表敬訪問し、友好のダンスを披露しました。

  


Posted by ビーバー at 18:57Comments(0)2010年交流会

2010年09月26日

ビーバー村の子どもたちの東京観光。

9月20日に無事2度目の来日を果たしたビーバー村の子どもたち。

翌日、バスで東京観光をしましたbus
朝晩冷え込むときには0℃の日すらあるというビーバー村からやってきた
みんなは、東京の蒸し暑さに少しぐったりした様子ではありましたが…

国会議事堂を見学したり、



建設中のスカイツリーを間近に見たり、




原宿の竹下通りを散策したり、久しぶりの日本を満喫していました花丸


2年前に来日したときの写真と比べてみるとよくわかりますが、
子どもたちはみんなずいぶん大きくなっていました双葉


シャルビーとジュリアはすっかりお姉さん顔に。


後列左からジョーリー、ナターニャ、ジョーダン。
ナターニャは今回初来日です。
前に写っているのはエコー。
縁あって東京観光に参加した東京在住の小学生です。


あいかわらず笑顔が可愛いアリスンとシェイニー。


そしてみんなのアイドル(?)ウィリアムです。

前回来たときはまだ2歳で言葉もおぼつかなかったけれど、今回滑舌よく「アリガトウゴザイマス!」と日本語を話せたのにはびっくりface08


東京観光の翌日すぐに、北海道に向けて出発。
静内にてアイヌの人々のシャクシャイン祭に参加し、函館に一泊したのち
今日の夜、石巻市に到着する予定です。
石巻の皆様との再会を、みんなとても楽しみにしていますキラキラ  


Posted by ビーバー at 15:08Comments(0)2010年交流会

2010年09月11日

ビーバー村の子供たちが2度目の来日!

ビーバー村にある唯一の学校Cruikshank Schoolの生徒と先生合わせて13名が今月日本にやってきます。

メモリアルポトラッチから2年が経過しましたが、石巻の皆さんはじめポトラッチ参加者の「交流は継続させる」という思いが伝わった形となり、とてもうれしく思います。

今回もまたとてつもない交流計画を立てており、現在ビーバー村では村人総動員で伝統工芸品(お土産)つくりのラストスパートをしています。

今年は残暑が厳しいので、北極圏からやってきて大丈夫かな~と心配はしていますが、今回も日本側では多くのみなさんに受入れ準備をしてもらっているので、楽しい滞在になるのではと思います。

それでは今後のブログの更新に注目してください。
  


Posted by ビーバー at 12:27Comments(0)

2008年10月08日

遅ればせながら、フランク安田メモリアルポトラッチの報告その1

たいへん遅ればせながら、少しずつ、8月のメモリアルポトラッチの報告を
綴っていきたいと思います。

今回の記事の写真提供は、鈴木誠二さんとSheila Duffordさんです。



23日土曜日のお昼前、フェアバンクスからのチャーター機で、日本からの
みなさんがビーバー村に到着icon20




ビーバー村の子どもたちと先生が、アサバスカンインディアンの民族衣装を
纏って出迎えてくれました。


グッチン語の先生であるポールの衣装は、淡いクリーム色が特徴のカリブーの革製。
背中には、カリブーのデザインがあしらわれています。


みんなで笑顔で集合写真camera


到着した一行は、まず会場であるクルイックシャンク学校へ。

石巻市民代表団団長の西條さんが、ビーバー村代表のセリーナに、知事と市長からの公式書簡を手渡すなど、歓迎のあいさつを終えたら、




さっそく、村内を見て回りますicon24




ビーバー村唯一のストア。




フランク安田の暮らした丸太小屋の前で、彼のお孫さん家族も一緒に、
みんなで記念撮影をしました。
  


Posted by ビーバー at 23:33Comments(4)メモリアルポトラッチ

2008年10月08日

フランク安田、ネビロ安田追悼

 カリブーの皮でつくられたアサバスカンインディアンの伝統的なハンドドラムが打ち鳴らされると、人々が学校の体育館中央に集まってきた。ドラムダンスをリードするのはスティーブンビレッジからやってきてくれたベン・スティーブンスとジェイ・スティーブンスの兄弟だ。抑揚のある歌とともに人々は体を上下に動かし、手を振り上げる。熱気にのまれるように一人、また一人とダンスの輪が広がっていく。小さな子供たちも円の中心で声を出して、一生懸命体を動かしている。一つのダンスが終了するとすぐに次のダンスへ。このまま一晩中続くのではと思えるよう勢いだ。全身から汗が吹き出し、喉の奥からしぼり出す声は魂のはいった歌となり、広大な極北の原野に響いていった。

二日目には石巻から参加してくれた皆さんにより、日本舞踊、和太鼓、合唱がおこなわれた。日本舞踊の美しい着物姿に会場からはため息がもれ、中には涙を流して喜んでいる老人もいた。子供たちも一生懸命がんばった石巻日高見太鼓の熱演は参加者全員からスタンディングオベーションでたたえられた。3年前に石巻の藤間京緑氏を訪問しなければ、こんなに素晴らしいフランク安田への贈り物は実現できなかったであろう。また、実行委員会をはじめ、多くの石巻市民の皆様にご協力をいただいた。フランク安田が石巻の出身で本当によかったなぁと思った。


タナナチーフのジェリー・アイザックはスピーチの中で今回の「フランク安田メモリアルポトラッチ」について次のように語ってくれた。

「アサバスカンインディアンの長い長い歴史の中でもこのようなメモリアルポトラッチが開催されるのは初めてのことであろう。フランク安田という偉大な日本人とネビロ安田という偉大なイヌピアックエスキモーがビーバー村に残した功績を改めて再認識した。このポトラッチによって日本という国とアラスカネイティブの関係が親密になったことは確実だ。」

 道路の通っていない人口70人のビーバー村に200人以上の人が集まってくれたことは異例のことだ。そして、フランク安田の親族もアンカレッジ、ノーム、オーストラリア、ニューヨークから集結してくれた。こんなに多くの皆さんとフランク安田、ネビロ安田を追悼できたことは予想以上のことで、とても価値のあるポトラッチであったと確信している。

全国各地のご協力いただいた皆さま、本当にありがとうございました。  


Posted by ビーバー at 23:32Comments(0)メモリアルポトラッチ

2008年09月15日

ありがとうございました!


ブログの更新が滞ってしまっていて、すみませんicon10

8月のフランク安田没後50年メモリアルポトラッチは、みなさまのご協力の
おかげをもちまして、無事開催することができましたicon12
日本から来られた皆様も、ビーバー村の人たちも、その周辺から集まった方々も
それぞれが楽しい時間を過ごされたと耳にし、たいへんうれしく思っています。

さて、その報告をブログで、と考えてはいるのですが、まとめに
今しばらく時間がかかりそうです。。
楽しみにしてくださっているみなさまには申し訳ないのですが、
今しばらくお待ちいただければ幸いです。

今日のところはとりあえず、なつかしのビーバー村と子どもたちの
写真を少しだけ。




どこにあったサインか、覚えていますか?


ビーバー村のメインストリート。
ふだん、交通量は皆無です。




村の中の風景。




かつてお店だった丸太小屋と、下にいる日本人を不思議そうに覗き込む犬。




ビーバー村の子どもたちは、あいかわらず可愛らしかったです。
なぜか白くて真顔のジョーダン(前左)と、ジュジュ(前)、シャルビー
(後左)と、ケイレン(後右)。
女の子たちは、ポトラッチでの演奏披露の際、浴衣を着せてもらいました。
よく似合っています親指


アリソンは、ハッピ&"祭"手ぬぐいでキマってますうさぎ




凪いで、鏡のように空を映し出す、夕暮れ時のユーコン川。
  


Posted by ビーバー at 23:29Comments(0)メモリアルポトラッチ

2008年08月17日

アラスカ、ビーバー村より

ビーバー村でのフランク安田没後50年メモリアルポトラッチの開催まで
いよいよあと1週間となりました。

今年のアラスカは記録的に雨が多いようですが、ここのところはよい
天候がつづいています。
季節は晩夏。
昼間は長袖のシャツに上着を羽織るくらいの気温ですが、日が落ちて
くると、さらにフリースを1枚重ねたくなるくらいで、それなりに
冷え込みます。
すこしずつ草木が色づきはじめ、日もみじかくなってきていて、
オーロラが舞うのが見える夜もあります三日月

村での準備は着々と進んでいます。

会場の設営をはじめ、贈り物としての工芸品やジャムづくりなど、
それぞれが忙しく準備に追われています。
今回のポトラッチは、近年では最大規模のものになりそうで、
アラスカ各地からビーバー村やフランク安田に縁のある人々が
やってくるとのこと。
みんな一様に日本のみなさんの来訪を心待ちにし、ポトラッチの
日を楽しみにしていますicon12  


Posted by ビーバー at 04:38Comments(1)メモリアルポトラッチ

2008年07月31日

ポトラッチについての追加情報

ポトラッチについての、追加情報です。

23日(土)はフェアバンクスからビーバー村へのチャーター機やその他準備が

かなりいっぱいいっぱいの状態なので、今から参加をお考えの方は、

できれば23日を避け、22日に来る方向でご検討ください。

なお、チャーター機を利用する場合、運賃は往復で350〜400ドル程度に

なります。よろしくお願いします。
  


Posted by ビーバー at 21:20Comments(3)メモリアルポトラッチ

2008年07月29日

メモリアルポトラッチの開催日時ほかの情報


☆フランク安田没後50年 メモリアルポトラッチ☆

開催場所:
アメリカ合衆国 アラスカ州 ビーバー村

開催日:
8月23日()、24日(

交通:
フェアバンクスから小型飛行機で約1時間
(天候が悪くないかぎり、最低一日一便は運航)

気候:
8月下旬といえば、季節は秋のはじめ。
例年の最高気温は平均で20℃前後、最低気温は10℃前後で、
年によっては、最低気温が2℃くらいまで冷え込むことも。
マフラーや手袋、帽子などがあると、防寒に役立ちます。



※ビーバー村には、宿泊施設等はないため、基本的に村の学校
(クルイックシャンクスクール)の教室を宿泊場所として開放
してもらう予定です。




ビーバー村がどんな場所かについては、過去の記事を参考にしてください。

なお今年の夏の極北地方は、通年よりもかなり雨の日が多いそうですicon03



  


Posted by ビーバー at 21:26Comments(0)メモリアルポトラッチ

2008年07月19日

生命の魚、サーモン。


ムース(ヘラジカ)と並んで、ビーバー村の人々に欠かせない食物が、サーモンです。


毎年夏(ビーバー村あたりの"夏"は、だいたい6月〜7月)になると、人々は"フィッシュキャンプ"をします。
6月末から7月にかけて、ユーコン川には何種類かのサーモンが遡上してきます。
それらを獲って、薫製などの食べものを作り、来る冬に備えるのです。

これは、4年前に77歳だったエルシーおばあさんが、孫を連れてフィッシュキャンプしているときの写真。

アサバスカンインディアンは縄張り意識が強く、テリトリーが決まっているため、毎年同じ場所でのキャンプ。
川べりに立てた簡易小屋やその周辺で寝泊まりしながら、日がな一日サーモンを獲ってはさばいて、燻す、そんな作業をくり返します。




これらは、キングサーモン。

一尾だけ、ドッグサーモンなる種類が混じっています(写真向かって右から3番目、
ちょっと黄色っぽいサーモン)。
ドッグサーモンは、時期的に、キングサーモンの次に遡上してきます。
キングサーモンよりも味が劣るといい、「犬のエサにするようなサケ」、
という意味でドッグサーモン、なのだそうdog




ユーコン川に遡上してくるサーモンのうち、おもにキングサーモン、チャムサーモン、
シルバーサーモンを、ビーバー村の人々は食べています。




これは、英語でFish Wheel、"インディアン水車"とも呼ばれる、先住民の人々の魚とり機。
その辺にある材料を使って組み立てた、手作りです。
アイヌの人たちも、同じような器具を使ってサケを獲っていたといいます。
彼らは、魚を根こそぎ獲り尽くすようなことはしません。
上流で魚を待つ人たちのこと、また生態系のことも考慮し、サケがさらに遡上
できる余地を残しつつ、漁をします。




アップでみると、けっこうな迫力。
サーモンは歯が鋭く、かなりいかつい顔をしているのがよくわかります。。


キングサーモンは、重いものでは一尾20kg近くあるものもあります。
サーモンが乗っているのは、魚をさばくための台。




さばかれたサーモンは、約2週間コットンツリーという木を燃やした煙で
燻され、薫製にされます。
この薫製は"サーモンストリップ"と呼ばれ、長い長い冬の間の貴重な
食料となるわけです。




光り輝くイクラ。
ビーバー村の人はイクラは茹でたり、スモークにして食べるのだそう。
「日本人にとっては醤油漬けや塩漬けがやはりおいしい」とは、リョウさんの弁。
  


Posted by ビーバー at 18:00Comments(0)ビーバー村のこと

2008年07月13日

"メモリアルポトラッチ"の意味すること。

"ポトラッチ"という言葉は、「贈与(give away,gift)」を意味します。
もともとは、ハイダ族やクリンキット族など、トーテムポールを作る文化を持つ
北アメリカ大陸の北西部沿岸の先住民に由来する儀礼。
それがいつしか、暮らすエリアが近かったアサバスカンインディアンにも伝わり、
彼らの文化にとり込まれていったようです。

部族ごとにいろいろ違いはありますが、基本的にポトラッチでは主催した人々が、
来客に食事をふるまい、記念品を渡すなどしてもてなします。

食べ物としては、まずムース(ヘラジカ)がとても重要です。
ムースのスープをみんなで食べ、その日を境に死者の魂が旅立つといわれます。
また、訪れた人すべてに十分な食べ物を提供できるよう、夏の間はサーモン漁に
精を出すなど、いつも以上に食料を確保することになります。



ビーバー村でのポトラッチの風景です。
4年ほど前に、リョウさんが村に滞在したときに撮影しました。


食事の場所は、村の中心地の広場。
朝は体育館で、昼と夜は屋外で、そのつど料理がふるまわれます。




並んでいる料理は、ムースのスープをはじめ、キングサーモンのオーブン
焼きや、サラダ、パスタなどさまざま。

グッチン語でのお祈りの言葉のあと、お年寄り→子ども→ほかの大人、という
順番で料理をお皿に盛っていきます。
アサバスカンインディアンの社会において、もっとも尊重されるべき存在は
お年寄り、その次に大切にされるのが子ども、という信条がそこに垣間みえます。


ポトラッチで来客に手渡す記念品にはさまざまなものがありますが、たとえば、このようなビーズで作った工芸品もそのひとつです。


工芸品はすべて手作り。
手作業をすることで、大切な人が亡くなった哀しみをいやす、という
意味もあると聞きます。
来客に贈るギフトを作るプロセスにも、故人を偲ぶ想いが詰め込まれるのです。

村全体で催すような大規模なポトラッチは、アサバスカンインディアンにとって
たいへん特別なことです。
今回のフランク安田没後50年メモリアルポトラッチは、村の礎を築いた人物を
偲ぶポトラッチであり、さらに、日本からたくさんの人たちがやってきて催される
という前例のないもの。
どのようなポトラッチになるのか、期待が膨らみますicon12  


Posted by ビーバー at 05:52Comments(0)ビーバー村のこと

2008年07月01日

大切な食料としてのムース (MOOSE/ヘラジカ)


ビーバー村近郊には、こんな風なひょろ長いスプルース(トウヒ)の木が密に生えた森が広がっています。
これから、ムース(ヘラジカ)ハンティングに向かうのですスニーカー


ムースを待ち構えて、銃の照準を合わせているところ。

ムースハンティングは、とにかく待ちます。
同じ場所にいて数時間じっとしながら、ムースがやってくるのを待つのだそうです。



(photo by MS clipart)

ちなみにこれが、雄のムース(Bull Moose)。
大人の雄の大きさは、だいたい平均で約400kg-700kgもあるとのこと。
大きな角が特徴的です。
繁殖期には、雌を巡り、雄同士がこの角を突き合わせて戦います。



(photo by MS clipart)

こちらが、雌のムース。
大人の雌の大きさは、だいたい平均で約270-360kgほどとのことです。
けっこう、愛嬌のある顔をしています。。




これは、私がユーコン準州で遭遇した親子のムースです。

インディアンの人々の間では子連れのムースは絶対に撃ってはいけないことに
なっていて、ハンティングで狙うのは、基本的に巨躯の雄ムースのみ。
その年のムースの数などの様子を鑑みて、部族会議で決まりをつくり、
捕りすぎることのないよう、調整すると聞きました。
インディアンの人々は、ムースによって生かされてきたことを、きちっと心得て
心を配っているのですクローバー




ムースは、草を食んだり水を飲んだりするために、このような湿生の
草地へ出てきます。
ハンターは、木に登って遠くを見渡してムースを探したり、鳴きまねをして
気をひいたり、いろいろするのだそうです。
道具が進歩したとはいえ、野生動物を狩るには、たいへんな労力を必要とします。


ビーバーの隣村、アークティックサークルからたまたま来ていたというサムが切っているのは、ムースの肉。

獲ってきたムースの解体では、基本、ナイフ以外は使わないことになっているのだそう。
動物に対する敬意、ということなのでしょうか。
サムは、慣れた手つきで肉を切り分けていきます。




リョウさんも、ナイフで解体を手伝いました。
関節などの固い部位もすべてナイフで切る、というのはかなり大変で、
コツがいるのだそうです。
なお、リョウさんのうしろの小屋は、ビーバー村のたいていの家にあるという
"スモーク小屋"。
大方解体したら、このスモーク小屋に肉を少し吊るして燻してハエや蚊が
寄りつかないようにし、それから切り分けます。

ニンテンンドーDSで遊んだり、インターネットが不自由なくできたりする
環境が在る一方で、ビーバー村にはこのような永く続いてきた営みが
日常として今も息づいています。
  


Posted by ビーバー at 10:53Comments(0)ビーバー村のこと

2008年06月21日

村の学校、焼失したジェネレーター、四輪バギー、白夜明けの月


今日は一年でいちばん陽が長い日、夏至。
極北の先住民の人々にとっては、太陽の光に感謝するお祝いの日でもあります。

さて今日も前回につづき、ビーバー村の様子をすこし。




クルイックシャンク学校校長であるシャーリーンの家の庭で撮られたこの一枚。

写っている子どもたちは...




男の子が7歳くらいのジョーダン、現在10歳。
女の子が2歳くらいのシェイニー、現在5歳です。大きくなったねえうさぎ




フランク安田が創設に尽力したという、ビーバー村唯一の学校
クルイックシャンクスクール学校
この建物は、築30年ほど。
壁の塗り替えなどをしているため、けっこう新しく見えます。
8月のメモリアルポトラッチでは、ここがメイン会場になります。




村の電力源だったジェネレーター(発電機)。
昨年、火事により焼失。。




笑顔で写真におさまっているのは、クレッグ。
当時、小型飛行機のパイロット(ブッシュパイロット)をしていたのだそう。
道がなく、遠く離れて点在するアラスカ原野の小さな村々に物資を運ぶ手段として、
このような小さな飛行機は、極北エリアには不可欠な存在です。

その飛行機と同じくらい極北の村に欠かせないのが、飛行機の前に
写っている4輪バギー。
ビーバー村のような小さな村には舗装された道路はなく、したがって
自動車はほぼ必要なし。あっても工事用のものくらい。
そのかわりにこの四輪バギーが大活躍で、集落の中を行き来したり、
物を運んだりするとき、ハンティングに行くときなど生活のさまざまな
場面で使われます。




夏至を境に日一日と、夜が長くなっていきます。

これは、白夜が終わり、秋が来たことを知らせる月の出三日月
8月のメモリアルポトラッチの頃は、ずいぶん夜も長くなっていることでしょう。
  


Posted by ビーバー at 22:23Comments(1)ビーバー村のこと

2008年06月16日

森林火災の煙、泳ぐクマ、ユーコン川に架かる虹。


ビーバー村界隈の風景をちょこっとご紹介します。



Beaver Through(ビーバースルー)、と呼ばれる、ユーコン川支流の夕暮れ時。

極北地域では、夏になると森林火災が頻発します。
自然発火のものもあるし、人為的(キャンプの火の不始末とか)な場合もあります。
森林が燃える、というのは、あながち悪いことでもなくて、むしろ、極北の生態系に
おいてはある程度必要なこととされています。もちろん、過度な火災は望まれませんが...

この写真で、雲のように見えるのは、じつは煙。
森林火災による煙が、雲のように層になって漂っています。




川をモーターボートで遡るときに遭遇したブラックベア。泳いで川を渡っていました。
グリズリーという、ヒグマのような巨大なクマが、ユーコン川本流を泳いで横切ることも。




ビーバー村にいると、虹をよく見るのだそうです。ときには、虹が二重に架かることも。
(この写真も、じつは二重です。見えにくいですが。。)
ユーコン川をまたぐように架かる虹。
「東京であまり見られないから、撮ってみた(リョウさん談)」とのことです。
  


Posted by ビーバー at 10:42Comments(0)ビーバー村のこと

2008年06月07日

ポーキューパイン(ヤマアラシ)。


ビーバー村は、日本とは、地理的にも気候的にもまったく異なる環境の
いわゆる"極北"と呼ばれるエリアに在ります。

環境がちがう、それはすなわち、生態系がちがうことを意味していて、
日本に暮らす私たちには、あまり馴染みのない動物や植物がたくさん
生きています。
そしてそれらは、極北の原野に暮らす人々の生活と、深く結びついています。





このちょっととぼけた表情の、ポーキューパインPorcupine(ヤマアラシ)も
そのひとつ。

森の中のみならず、民家の庭先やハイウェイのど真ん中など、基本的に
どこにでも出没します。
好奇心旺盛なペットの犬が庭に出てきたヤマアラシに近づいて、えらい目に
あった(鼻先が針だらけ...ムンク)というのはけっこうありがちな話だし、
道路上で、車にひかれてペチャと潰されてしまっている姿もよく見かけます。

ビーバー村の人たちなどは、ヤマアラシを食用として狩ります。
この生き物は、動きがものすごーくゆっくりで、人間に対する警戒心も強くない
ので、これを食用としている人々の間では"slow meat(ノロいお肉)"とか
"the best friend of Hungryman(腹減り人の最良の友)"とか、呼ばれています。

ハンティングの季節は、ムース(ヘラジカ)と同じ晩夏から秋にかけて。
植物に旬の時期があるのと同様、野生動物にも旬があるのです。
ムースハンティングの前に、ヤマアラシを食べ、美味しいと感じたら猟に出る。
そういう目安としても使われます。

ヤマアラシの最大の武器である体中の針は、かなり危険な代物。
釣り針みたいに返しがついて、一度刺さると、容易に抜くことはできません。
そのため、人間には狩るのが比較的ラクなヤマアラシも、ほかの動物たちは
こぞって危険物扱い。
肉食のコヨーテリンクスも、ヤマアラシには手を出さないそうです。
ただ、非常に賢いとされるウォルブリン(クズリ)だけは例外で、
一説には、ヤマアラシの鼻っぱしらを叩いてひっくり返す、なんて話も。


ちなみに上の写真は、リョウさんがユーコン川をカヌーで下っていたとき、
一夜を過ごすべく川岸でキャンプしていたときに、たまたま、のそのそと
姿を現したヤマアラシ。
「あ、ども。」という声が聞こえてきそうなほどのカメラ目線です...  


Posted by ビーバー at 21:01Comments(4)極北の動物たち

2008年06月04日

成田空港から、アラスカへ


いよいよ、ビーバー村のみんなが、アラスカへ帰る日がやってきました。


リョウさんと弟のジュンくんが荷物をすべて車で運び、私が身軽になったみんなを連れて成田エクスプレスで一路空港へicon20

ジュンくんとウィリアムもすっかり仲良し(?)になりましたneko


大人たちがチェックインの手続きをしに行っている間、子どもたちは空港ロビーにて、滞在中にお世話になった方々に寄せ書きをかいていましたレター


お昼を食べて、休憩、のひととき。
子どもたちはニンテンドーDSで遊んでいるし、大人たちはiPodで音楽を聴いたり、動画を観たり。
東京の雑踏の中に住んでいても、アラスカの原野に暮らしていても、同じものを同じように楽しめるのが今の世界なのだなあとしみじみ実感します。


そして、お別れのとき。

長いようで、あっという間の10日間でした。

それぞれずいぶん楽しんでもらえたようで、ほんとうによかったです。
そして、ほんとうに多くの方々にサポートしていただきました。
ありがとうございましたクローバー




この笑顔と、今度は8月にビーバー村で再会ですicon12




(↑オーロラの写真:リョウさん撮影)

アラスカ・ビーバー村、クルイックシャンク学校修学旅行の報告は、
ひとまずこれで終了。

ですが、このブログでは今後も8月のメモリアルポトラッチに向けて、
ビーバー村の現在の生活の様子や、イヌイットの暮らしなど、極北に
まつわるお話をお伝えしてゆこうと思いますpinkuma